コンストラクティヴィズム:私の偏見   1989.10

遊佐安一郎

     私はコンストラクティヴィズムという用語を「現実構築」主義と訳してみました。我々人間の現実の概念化、即ち物の見方には、多分に我々が創り上げている部分があるという前提に立って、人間の現実理解を捉えてみようとする立場という意味で使っています。このような立場は別に新しいものではありません。芥川龍之介の「薮の中」は現実構築的な発想の極端な例だと言えるでしょう。しかし、現実がないとか複数あるという意味ではなく、一つの現実の多面性と、我々人間が現実を色々な形で構築する能力があることが、コンストラクテイヴィズムの前提だとも言えるでしょう。

     このような立場に立って家族療法を考えると、家族構成員一人一人の現実構築のズレが顕著に見られる場合が多いと思います。そして、家族の誰かが家族の問題だという俗に言う「直線的」現実構築が多いようです。それに対してシステミックな立場の家族療法家は、家族の問題を家族システム全体の関係性の問題と捉えるので、逆にそのような家族の「直線的」現実構築が問題を維持していると捉え、問題行動を含まなくて良いような家族の関係性を作れるように努力するわけです。

     このように考えると、家族療法で個々の家族構成員を、そして、家族の関係性を治療者がどのように概念化するか、すなわち、家族システムの現実構築をどのように構築するかということが、治療を進めるうえで重要な要件になります。しかし、それに加えて、治療者がどのように治療的現実(家族システムの現実構築)を構築するかを構築することは、治療者の教育、訓練、スーパービジョンの為に非常に重要なことだと考えています。そして、もう一つ重要なことは、私達治療者自身が自分の現実構築を構築することにより自分を真摯に見つめて、自分たちの成長の糧にすることでしょう。

トップページへ