スーザン・オズボーンのアベマリア 1997.10

フィッシュ・フィッシュ・フィッシュ

笹竹秀穂

    仙台市内のホテルでフィッシュと別れるとき、この小柄な老人をこのまま残してわれわれは立ち去ってよいのだろうかといった心細い感情に私は襲われた。フィッシュが日本を発つまで、一緒にそばについていたい気持ちだった。既に老境に入っているといってよいフィッシュに、私は慈しみの感情を持っていたようだった。

    ワークショップでフィッシュのロールプレイを見た。パンフレットに、セラピーに入るとどちらがクライエントか分からなくなるほど、腰が低いと書かれてあったが、そのとおりだった。フィッシュは丁寧に、あたかもロジェリアンの雰囲気を漂わせ、クライエントの話を聴いていた。私が驚いたのは、フィッシュがクライエントの問題を明確にしていくその技術もさることながら、その明確化によってクライエントが自分の問題が明らかとなって喜んでいるのに、フィッシュはそのことに何の関心も払わないことだった。

 自分の役割は、クライエントの問題を明確にして、解決努力を止めさせることであり、その後にクライエントがどんな解決をするのかは自分にはまったく関係ないといった態度であった。まさに解決努力を止めさせる、それだけであった。私ならば、クライエントの喜びについ顔をほころばしてしまうであろう。見事なフィッシュの態度であった。 

    私は、古き良きMRIを見るような感じがして感激した。そしてBFTCよりもMRIの方がシンプルだと思った。BFTCは解決まで面倒を見るのに対し、MRIはこれまでの解決努力を止めさせるだけに徹しているのだから。 

(後日長谷川先生にお尋ねすると、MRIを日本に紹介した当時は,MRIのこの面がなかなか理解されなかったという)

 私は、仙台市内の料理屋でITCのメンバーと酒を飲みながら、私の感激を口した。フィッシュのことを話題に出さざるをえない感情に、私はとらえられていた。フィッシュの講演もとても面白かった。短期療法が生まれ、発展しているその現場に立ち会ったものだけが知っている雰囲気や思考の軌跡が、フィッシュの淡々とした口調から伝わってきた。そうか、短期療法はこのようなコンテクストで生まれ育ってきたのかと私は思った。これまで接してきた短期療法が、また違う顔付きで、私の前に姿を現したような気がした。短期療法が日本にも知れ渡ったこの時期の、タイミング良い長谷川先生の企画だと思った。

    フィッシュと仙台市内の寺社巡りをしたことも忘れられない思い出となった。日本庭園の一角でフィッシュを囲んでみなが腰を下ろし、思い思いの質問をフィッシュにぶつけた。ウィークランドのことに話が及ぶと、フィッシュはめがねを取って目頭を押さえていたことが印象的であった。ひとしきり説明が終わって見せるフィッシュの笑顔がまた魅力的だった。フィッシュは笑うと小さな目が線になった。不謹慎ながら、私にはフィッシュの笑顔が、かわいいネズミのように感じられてしかたがなかった。

 フィッシュは私に日本のプロベーション(保護観察)についていろいろ尋ねてきた。私の語学力では十分に答えることができなくて残念であり、心残りでもあった。帰りの飛行機の中で目を閉じると、私の心の中に、なぜか映画のスクリーンに映ったフィッシュの顔があった。大きな仕事を成し遂げた人間が、自らの過去を語るドキュメンタリー映画の場面であった。

  この3日間で私が聴いたフィッシュの言葉が、浮かんでは消え、また浮かんでは消えていった。そしてフィッシュの笑顔とともに音楽も聞こえてくる。スーザン・オズボーンの歌うアベマリアであった。フィッシュの活躍した古き良きMRIの時代をやさしく包み込むのは、オズボーンの澄んだ歌声しかないと私は思った。 

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