ポール・ワツラウィック博士と言語哲学

長谷川啓三 東北大学

2008年、ワツラウイック博士も逝ってしまった。1月にインスー、一昨年はスティーブが他界してしまっている。ジェイ・ヘイリーもだ。気が重い。
ワツラウイック説のわが国での受け入れは、翻訳数が決して少なくない割には、広くも深くもないような気がする。筆者が、ご自身から託されて訳した2冊を含め6冊はあるはずである。筆者を中心とする小さな範囲ではグランドセオリーの位置を占めるが、一般には知られない。スティーブの理論の方が知られている。
海外、とりわけ米国でも同様だと思う。ワツライック博士の、知名度は抜群であるが、理解の水準は、深くはないと思う。たとえば博士が唱えたconstructivism である。ガーゲンらによってconstructivismは社会という視点が欠けるとされsocial constructionismと呼びかえられた。そして浅薄化された。それは、学問の歴史上よく繰り返されている、社会イコール言語といった言語観と社会観によって浅薄化されてしまった。ここではヴィトゲンシュタインの言語哲学や言語ゲーム論も浅薄化されてしまった。かつてピアジェとヴィゴツキーの論争時もそうであった。博士はピアジェの方をよく引いている。
言語哲学で学位をとられた博士のそれは、「拘束」という二重拘束理論以来の言語と行動の密接な相互性もしくは一体性を、ウイークランドはそれを硬貨の表裏と比喩をしたが、当然の前提に唱えられたのであり、行為の社会的な相互構成性を最初から説いていらっしゃる。要点は、こうまとめられるはず、

任意の行為は、病理を含めて、他者に対していつも言語的であり、拘束性を免れない。

英米的な学者ではない、ヨーロッパの大陸的な碩学である。ヴィトゲンシュタイン哲学の研究者としても知られていた。かつてハイデガーが座った席の近くに博士も座ってフランクルとフランクルのご自宅で語りあってらっしゃる。主著は「チェンジ」(「変化の原理」法政大学出版局)である。「人間コミュニケーションの語用論」(以下、語用論)ではない。これは明言された。そして「チェンジ」の翻訳を筆者に薦められた。「語用論」は学術賞をとられているのに、こともなげに「あれは自分でもわからない」と真顔で言われた。筆者にしてみると、その一言で博士という方が解かった気がする。わたし達でも、ときにはやってしまう衒学的な物と事を嫌われ、自身にもいましめられる。この態度はMRIの研究者に共通であると感じる。だからというべきかどうか、彼らの著述の量は多くない。博士が一番多いくらいである。
「チェンジ」の翻訳作業を通じて、博士のとてつもない博学と、そして深い思索を知ることになった。日本文化についても、うわ面な理解ではなかった。ハイデガーやファイヒンガーにも共通する知性の伝統だろう。お知りではないだろうと、当初よく持参した日本からのお土産、たとえば安物の浮世絵のミニチュアや扇子、ふろしきといったものを、日本の文化の紹介としても差し上げたのを、恥ずかしく思い出す。
翻訳作業中、フットノートの量と難解さには泣かされたが、学位後の最初の研究のつもりで精力を傾けた。まだ若かったし、なにしろ内容が面白かった。群論を中心とした数学も、言語の一つとして駆使される、ピアジェにも共通する、その仕方はよく理解できた。
難解さの一つはヴィトゲンシュタイン哲学である。が次第に解けてきた。(哲学の)問題として、偽の問題を扱わないことである。偽の問題をつくりださないことである。雲の形を分類して雲の本質としないことである。(ゴチック)
同じように、解決をしようとして問題をつくり出さないことである。これがブリーフセラピーの誕生につながる博士のスタンスであった。
論文の執筆を薦められ提出したことがある。博士ご編集の単行本に収録の予定だった。本自体が日の目をみなかったが、ずっと後に、MRIの海外代表の一人に推された。MRIで開催された国際会議のシンポジストのひとりとして、博士の言動に絡めて、ジョークを言ってみたことがある。皆にはややうけた。「希望の心理学」(法政大出版局)という半分はユーモアについての研究といってもいいものをお書きの博士はというとー、やさしくも、笑顔を見せてくださっていた。
サバティカルなど、少し長目の休暇を得たときには、筆者は、もういちど博士の下で治療的な言語の研究を、家族よりもさらに上位システムを対象にして、博士が唱えられている視点から、成したいとずっと願っていた。いまや、それは叶わぬこととなったが、遺されたご著書がある。ご論文もある。それらを開くと男性的で重厚な博士の美声が紳士的なお姿と共に、はっきりと聞こえ見える。ありがたい、博士はまだ筆者の中では元気でいてくださる。



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