構成主義についての誤解と檄!   1992.5

長谷川啓三

  「客観的」心理のモデルとされるの自然科学の諸法則にしても、その時代、時代のベストの仮説でしかない

ジョン・ウィークランド

  私たちの主張の中心の一つは、「これだけが真実」なるものの存在を、はっきりと杏定するということである。かつて我国では、そして現在でも、ロジャースのみが正しい、精神分析こそが本物、やはり分裂病には生物学的なアプローチでないと、といった議論があった。最近では、家族療法こそ優れている、短期療法だけが生き残るといった議論も先端部分では行なわれているようだ。我々はこういった議論に最初から与しない。

  家族療法、特に短期療法派は自身の内に、あらかじめ先の主張を姿勢として組み入れている。だから我々が試みている、最先端のソリューション・フォーカスト・アプローチだって、これが決して一番ではないのだと、自ら宣言しながらその特徴や有効性を主張しているのである。このことがきわめて重要なのだ。

  構成主義への誤解1 だから我々には頼りになるものがない、相対的で主観的でしかありえないとする誤り。そうではなくて、我々は自身の属するそれぞれの時代からベストのものを生みだせるのである。できるだけ遠くまで見渡せる、我々にとってのベストのものを。実際それで遠くまで行って、それがいいかどうかは決定的にはわからない(注l)。

  かつて、資本主義の矛盾を乗り越えて、理想郷(ユートピア)を科学的に建設しようとしたロシアの社会主義が、全体としてはともかくも、経済というそもそも目的としたところで不成功だったことが、今になってわかったのだ。その「正しい」理想のために、どれくらい多くの人の血が流されたことか。

  我々はそんな先人の試み、努力、歴史の一々を慈しみ、敬意をはらって、ベストのものを生み出す糧とすればいいのである。そう思えば先人も、偉人も我々と同じ悩める、決して完全ではない人間であり、親しみの持てる友人になるのだ。 

  彼らが築いた背丈の分だけ高いところから、彼等自身には見えなかった眼(まなこ)自体も、我々には見ることが出来るのだ。いけないのは「これが一番だ」「私こそが正しい」と声高に叫び、他を攻撃し排除する姿勢である。心理療法の世界で、我々がそうなっちやいけない。

  誤解2 構成主義をジョージ・ケリーのパーソナル・コンストラクトで理解することの誤り。うっかりして、「世界はいろいろに見える」という単純な「観念論」にまで後退しないこと。我々は、我々自身の為す行為までを含む、その意昧ではむしろ「客観的」な現実を相互的に構成するのである(註2)。我々の主張は、インタラクショナル・コンストラクション・オブ・リアリティである(註3)。

注1 最近のシステム論の主張する「非決定性」,これは構成主義の主張とも重なる

注2 この点についてば『構成主義―ことばと短期療法」の長谷論文(千葉大)中の「認知による構成」という説明が直観的にはわかりやすいかもしれない

注3 長谷川啓三「心理療法における構成主義:個人療法対家族療法」”現代心理学の諸研究”シーダーカンパニー所収

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